「通勤往復4時間、きついです。甘ったれですか?」
検索すると、そんな知恵袋の質問が出てきます。同じように迷いながらこの記事にたどり着いた方に、先に言っておきたいことがあります。つらいと言っていいです。
私は3年、この通勤を続けています。今日はその中身と、「なぜ辞めなかったのか」を、できるだけ正直に書きます。通勤時間を賢く使う方法を紹介する記事ではありません。むしろ、思ったようには使えなかった話です。
通勤の実態|徒歩か自転車、そして電車(乗換1回)
私の通勤は、徒歩か自転車で最寄りまで移動し、そこから電車に乗り、途中で一度乗り換えて、また徒歩で職場に着く、という組み合わせです。路線名や駅名は書きませんが、大まかにはこの3ステップです。
行きと帰りで、電車の中の過ごし方が違います。
行きは、乗った時点では座れることが多いのですが、途中から乗客がどんどん増えて、後半は立ちっぱなしになります。帰りはその逆で、乗った瞬間から立ちっぱなしのことが多く、途中の駅で人が降りて、運が良ければ座れる、という感じです。座れるかどうかは、その日次第としか言いようがありません。
行きも帰りも、ほぼ満員電車です。これが平日、ほぼ毎日です。
これは全国平均の何倍か
自分の感覚だけで「長い」と言っても伝わりにくいので、公的な統計と比べてみます。
総務省「令和3年社会生活基本調査」の「平均通勤・通学時間(往復)」によると、全国平均は1日あたり往復で1時間19分です(出典:総務省統計局 令和3年社会生活基本調査 47都道府県ランキング。全国・都道府県別の数値は同ページの「平均通勤・通学時間(往復)」のExcelファイルに掲載されています)。
ここで一つ、注記が必要です。この数字は「通勤」だけの平均ではなく、「通勤・通学」を合わせた平均で、通学している人も含まれています。純粋な社会人だけの通勤平均ではない、という点は押さえておきたいところです。
その前提のうえで、単純に割り算すると、私の往復4時間は、この全国平均のおよそ3倍にあたります。「上位何パーセントに入るような異常な長さだ」というつもりはありません。ただ、平均と比べればそれくらいの開きがある、ということです。
3年続けて、きつさの感じ方はどう変わったか
この通勤は、始めた当初からきつかったです。楽になった時期は一度もありません。
ただ、3年という時間の中で、きつさの質は少しずつ変わっていったように感じます。睡眠時間が短い状態が毎日積み重なっていくと、疲れは翌日に持ち越されるだけでなく、翌週、翌月へと少しずつ蓄積されていく感覚がありました。これはあくまで私の体感であり、誰にでも当てはまるという話ではありません。時間が経つほど、きつさは薄れるどころか、増していったというのが正直なところです。
通勤中は何をしているか|音楽と、副業のための情報収集
通勤中にしていることは、大きく分けて2つです。
一つは、音楽を聴くこと。満員電車の中で、せめて耳だけでも自分の時間にしたくて、イヤホンで音楽を聴いています。
もう一つは、YouTubeやUdemyを使った、副業関連の情報収集です。この時間を副業にどう活かしたかについては、通勤時間を使った副業の実録に詳しく書きました。ここでは深掘りせず、次の章以降で振り返ります。
体力の面で、自分の中で変わったと感じること
ここから先は、あくまで私個人の体の感じ方の話です。医学的な話ではありませんし、他の人に当てはまるかどうかは分かりません。
私の仕事は座りっぱなしです。そこに行き帰りの満員電車と、睡眠不足が続く状態が重なります。この生活が続くなかで、50を過ぎたあたりから、疲労が抜けなくなったと感じるようになりました。
以前は、休めばそれなりに回復していたという感覚がありました。今は、休みを挟んでも疲れが残っている感じがします。比べているのは、あくまで過去の自分です。他の人や、同年代の平均と比べているわけではありません。
体力・疲労に関する記述は、あくまで筆者個人の体感です。医学的な助言ではありません。体調に不安がある場合は、医療機関にご相談ください。
それでも続けられている理由
正直に言うと、この通勤を続けられている理由は、そんなに格好いいものではありません。
一つは、気力です。もう一つは、働かないと生活ができないからです。
美談にするつもりはありませんし、自虐で終わらせるつもりもありません。ただ、この2つが今のところの、偽らざる理由です。帰宅後の生活を含めた日々の回し方については、通勤4時間の50代が家事を回す方法にも書いています。
時間とお金をどう考えるか
3年間の総量を数字にしてみる
「1日4時間×年間出勤日数」という単純な計算をしてみます。仮に年間240日出勤するとすると、1年でおよそ960時間、3年間ならおよそ2,880時間という計算になります。
この「240日」は、計算の枠組みを示すために置いた仮の数字であって、私の実際の出勤日数ではありません。出勤日数は年によっても人によっても違うので、あくまで規模感をつかむための目安として見てください。
この数字を大きいと見るか、通勤とはそういうものだと見るかは、人によって違うと思います。私自身、この数字を出してみて、素直に「大きいな」とは思いました。
時給換算という考え方と、その限界
通勤時間を時給に換算して、「これだけの金額を失っている」という計算をする人もいます。ここで自分の年収や時給を出すつもりはありませんが、この考え方自体は紹介しておきます。
ただし、この計算には限界があります。通勤時間をまるごとお金に変えられるという前提の計算であり、実際には、疲れてしまって何もできない時間も含まれているからです。だから私は、この計算はあくまで「感覚をつかむための目安」として見ています。答えを出すための計算ではない、というのが今の受け止め方です。
通勤手当は電車のみ
私の場合、通勤手当は電車の分だけ支給されています。徒歩や自転車の区間にかかる駐輪場代は、支給の対象外です。交通費は出ますが、時間は誰も払ってくれません。
引っ越さなかった・転職しなかった理由
「近くに引っ越せばいい」「もっと通勤の短い会社に転職すればいい」。この3年間、そう考えなかったわけではありません。ただ、実行には移しませんでした。理由は主に3つです。
一つ目は、持ち家であることです。今の家を離れて、職場の近くに新しく住まいを構えるという選択は、簡単に踏み切れるものではありませんでした。
二つ目は、コストの問題です。仮に単身で職場の近くに住むとしても、今の家とは別に生活の拠点をもう一つ持つことになり、生活コストは単純に倍近くかかります。これは、家計の面で無駄が大きいと判断しました。
三つ目は、夫婦の生活リズムです。単身で別の場所に拠点を持てば、夫婦で過ごす時間や生活のリズムは変わります。共働きで暮らしを回している以上、そこを崩してまで通勤を短くするのは違うだろう、というのが当時の判断でした。
この3つを天秤にかけた結果、通勤を短くするより、今の生活を維持することを選びました。これが、私が引っ越しも転職もしなかった理由です。
3年間を振り返って|「自己投資の時間」にはならなかった
通勤を始めた当初、私はこの時間を自己成長のため、自己投資のために使うつもりでいました。音楽を聴くだけでなく、この移動時間で何かを学び、身につけていくつもりだったのです。実際にこの時間を副業に使えるようになったのは、だいぶ後になってからでした。
ただ、実際にはそう簡単にはいきませんでした。満員電車の中では、スマホの画面を見続けるのもやっとで、じっくり考えたり、腰を据えて学んだりする余裕は、なかなか持てませんでした。疲労が重なるにつれて、その余裕はさらに小さくなっていきました。
ここで、一度整理しておきたいことがあります。通勤中にできることは、実際にあります。音楽を聴く、情報収集をする、あるいは別記事に書いたような軽い副業の作業をする——これはできました。ただ、当初思い描いていた「まとまった自己投資の時間」には、結局なりませんでした。
できることと、できなかったことを分けて考えると、総じて割に合わなかった、というのが今の正直な総括です。副業記事に書いたことを否定するつもりはありません。あの記事に書いた程度のことは、確かにできました。ただ、それ以上——理想として描いていた自己投資の時間——には届かなかった、ということです。
平日はほとんど自分の時間が残らず、自由に使える時間は土日だけ、という感覚は、「頑張る節約」をやめて仕組み型に切り替えた話にも通じるところがあります。
まとめ|それでも続けている。そして、いつか区切りは要る
ここまで書いてきた理由は、どれも変わっていません。気力と、働かないと生活ができないから。この通勤を、今日も続けています。
ただ、この負担が消えてなくなったわけでもありません。この通勤の負担は、再雇用に流されず辞めたい50代の「辞める準備」実録で触れた「もやもや」を底上げしている背景の一つでもあります。第1回では一段落だけ触れた話を、この記事で少し詳しく展開した、というのが今回の位置づけです。
通勤を短くする決断は、まだ下せていません。それでも、この生活をこのままずっと続けるつもりもありません。どこかで区切りは要ると思っています。その準備の話は、また改めて書いていきます。
このブログでは、50代・共働きの当事者目線で、働き方や暮らしの実録を書いています。運営者について詳しくはプロフィールをご覧ください。
本記事は筆者個人の体験であり、健康・医療に関する助言ではありません。体力・疲労の感じ方には個人差があります。体調に不安がある場合は医療機関にご相談ください。


